無性別そらおの恋愛本。

どうしてうまくいかないの?こうしてみたらいいんじゃない?

自分が無性別だと気づくまで⑤

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改めまして自認性別『無性別』のアラサー会社員そらおです。

 

私が無性別に気付くまでのお話を書いています。

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自分が無性別だと気づくまで① - 無性別そらおの恋愛本。

 

私は身長も体重も平均中の平均で、身体の成長も人より遅いくらいでした。生理も不順で3ヶ月に1回ほど、胸もBカップあるかないかの貧乳で自分の身体を女の子らしいと思った事はありませんでした。

 

それなのに、その少ない膨らみですら「なんだこれは…」と絶望するほど不必要でその日はベッドから出れず学校を休みました。

 

急に学校を休むなんて家族が心配するのでは?と思うかもしれませんが、父親は多忙でほぼ家に居らず、母親はフルタイムの仕事、兄は部活で帰りも遅く私は高齢の祖父祖母と過ごすことが多かったので特に休んだことが心配のタネになることはありませんでした。

 

家族全員が集まることは少なかった我が家、それでも仲は良かったと思います。

 

私は目が覚めたときに性別の不一致があることを家族の誰にも言えませんでした。ただ、同性も恋愛対象だということを隠すつもりもなく、初めて彼女が出来た時は一緒に撮ったプリクラを母親に見せたりもしました。

 

母親はあまり私に関心がなく(当時はそう思っていましたが、意味がわからなくて接し方に悩んでいたそうです)未成年が夜遅くまで遊ぼうがピアスを開けようが煙草を吸おうが酒を飲もうが全く怒ることはありませんでした。兄の部活に母親は付きっきりだったので、優等生な兄とハズレの妹なのだと割り切っていました。

 

そんな母が仕事から帰ってきたので、私はその日の出来事を話しました。

 

「朝起きたら胸の膨らみがとてつもなく嫌で泣きながら吐いた。学校も休んだ。なので胸を取って男の子の体になりたいと思う。」

 

これを話しながらも泣いていた記憶があります。

 

母親は突然泣きながら胸を取りたいという娘にとても困惑していました。きっと突然過ぎてかける言葉も出なかったと思います。だがしかし、目の前で返事を待つ娘がいる。きっと母は頭がスパークしたんだと思います。

 

「気持ち悪い!何言ってるの!そんなことできるわけないでしょ!」

 

この日から少し母と私の間に変な溝が出来ました。少しでも同性愛のこと、体のことを話すと喧嘩になりました。話を聞くことを遮断されたのです。母の気持ちもわかる、でも私の気持ちも理解して欲しい。話さなければ母親に自分の気持ちを伝えられない、話せば喧嘩になる。話せば母が悩む、だけれど私も悩んでいる。ぼかして伝えようが遠回しに伝えようが終着点は手術だったので、私も母もその話はしないようになりました。私がその話題を出さなければいつも通り仲の良い家族に戻ります。

 

それから私はネットを通じてFtMの男の子と友達になりました。戸籍上はまだ女の子だけど見た目は完璧に男の子でした。知恵を沢山もらいました。お互い悩みを赤裸々に打ち明けて今できる解消法を沢山探しました。

 

バイトをして貯めたお金でナベシャツを買いました。着るまでも脱ぐまでも苦しくて苦しくて笑っちゃうほど着脱しにくいのに、ナベシャツを着てからTシャツを着ると自分の身体が好きになれました。元々貧乳なのでぴったりとしたTシャツじゃなければ膨らみは無くなりました。

 

小さいナベシャツが洗濯の中に混ざると、母は「そこまでして何がしたいの?」と聞いてきました。

 

私は性別を変えて男の子になりたいわけではありません。髭が欲しいとも思いません。ただ胸の膨らみがいらない、それだけなのです。胸の膨らみがなければ髪型と服装で男の子に見えるのに、胸の膨らみがあるせいでボーイッシュな女の子で止まってしまう外見が気持ち悪かったのです。

 

「胸の膨らみが嫌なんだよ、それだけだよ」

 

それしか言えませんでした。中学校時代部活に明け暮れ青春を謳歌していた娘が、高校入学と同時にピアスだらけになり胸がいらないと泣き服装も男性用ばかり買う、真面目を絵に描いたような母親には理解出来なかったと思います。「偏差値の低い校則が緩い高校に行ったからそんなことになったの?」「そういう友達がネットで出来たから真似してるの?」「最近おかしいよ」母は私が小さい頃から抱えていた悩みを学校のせい、周りの友人関係のせい、ネットのせいにしました。娘である私の声は母の耳には届いていませんでした。

 

ナベシャツは高校生の私には高額で、バイトしても最初に買えるのは1枚だけでした。メッシュ生地なので洗えばすぐ乾くのですが、乾かなかった時は最悪です。

 

ある日、母と出かける約束をしていたのですがナベシャツが乾かず、しかも気持ちは男の子の日。私はなるべく胸の膨らみがわからないようオーバーサイズのTシャツを着ました。自分の違和感をなんとか納得させ外を歩いていた時です。

 

風が吹きました。向かい風です。Tシャツが体に張り付いて胸の膨らみが強調された気がしました。実際は誰も気にするようなことではないのですが、当時の私は「胸があることがバレた!恥ずかしい!見ないで!帰りたい!」とパニックになりました。泣きながら「胸があるから恥ずかしくて歩けない」とパニックになる娘を見て、母は「誰も見てないよ」と言いました。確かに見てはいません。私は腕組みをして帰りまで歩きました。

 

最終的にナベシャツは3枚まで増え、ボロボロになるまで着ていました。23歳くらいまでは男の子モードな日が多く、服装も髪型も男の子モードの時に対応が楽なように偏っていきました。

 

次回:そらお彼氏ができる